日本YWCAで働き始めて5年経ちます。「ひろしまを考える旅」はずっと担当させていただいています。その中で聴いてきた被ばく証言をはじめとする様々な言葉は、どれも鮮烈で重いものです。
「原爆は人類が人類に犯した最大の罪のうちの1つ」
本当にそうだと思います。
いつまでも、いつまでも、続く放射能の影響。「あの原爆の放射能のせいなのでは」という疑念がなくなることはありません。
毎年、8月6日と9日を刻みながら、いつも思い出すことがあります。
小学校1年生の登校日に学校に行った時のことです。
わたしが小学生の頃、わたしが育った北九州市は、8月6日か9日は必ず、登校日でした。そして必ず原爆や戦争に関する映画を観るか、被ばく者の方が来てくださってお話を聴きました。
小学校1年生の時は、被ばく者の方が来てくださいました。
その方は、最初に言われました。
「みなさんの中で、お父さんやお母さんが、戦争が終わる前に生まれていた人は手を挙げて?」
わたしは手を挙げました。
「その頃、北九州にお父さんかお母さんがいなかった人は手を下げてください。おられた方は、手を挙げておいてください。」
わたしは手を挙げ続けました。父がその時は、北九州にいたと聞いていたから。(母は中国(旧満州)にいた。)その方はとても静かに言われました。
「今、手を挙げている人たちは、生まれていなかったかもしれませんね。小倉は原爆が落ちるはずでした。」
驚きました。心のすべてがシンとしました。
自分の挙げた手が重かった。
あの瞬間が私にとって、広島を、長崎を、
75年前に投下された原子爆弾のことを、
その後に起こり、今日まで続くさまざまなことを、
決して他人事にはしてはならないと思わされた瞬間でした。
それがわたしの最初の経験でした。
その後、周りのたくさんの人がわたしにさまざまなことを教えてくれました。特に日本の加害責任については、その後の学びの中で、それこそ「血を吐くように」教えてくれた人たちがいました。その1つひとつが、お一人おひとりが、わたしの中にいてくださり、今のわたしを作ってくれていると感じています。
75年を経て、被ばく者の方々に残されている時間はそんなに多くはありません。これからこの「ひろしま」の出来事をどのようにさまざまな人たちに共有していけば良いのか、大きな課題に向かいます。そのことも合わせながら、考えていきたいと願っています。みなさんもぜひ、一緒に考えてください。
写真:夾竹桃(広島の市花です)
臼井一美@お好み焼きは敢えていうなら広島派
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