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ひろしま旅 〜市立高女慰霊碑〜

戦争の記憶や記録を伝える碑には、その事実を伝えるだけでなく、その惨禍を生き残り、苦難の時を経験しながらも、犠牲になった人々の存在や記憶を伝えようとする思いを伝えてくれます。





市立高女慰霊碑は、平和記念公園の南、元安川に架かる平和大橋西詰めに位置する。当時の広島市立第一高等女学校(現在の舟入高校)の犠牲となった生徒や教職員のことを憶えて、1948年に作られました。当初は学校の敷地内に作られたと言います。


建物疎開に動員されていた市立高女の1、2年生は全滅しました。そのほかの学年や教職員も合わせ、676人もの人々が被爆死をしました。それほどの苦難を経験したにも関わらず、戦後、アメリカ占領下の元では、被爆の被害について公に語ることが許されず、碑においても「原爆」の言葉を使うことは許されませんでした。


そこで、この碑では、「原爆」という言葉の代わりに、「原爆」製造に応用された相対性理論を表す”E=mc2”を用いたのです。


友人や家族を失い、それらを奪った原爆に対して自由に怒りを表すことが出来ないという中で、どのようにその現実と向き合っていたのか、今の私には想像をすることができません。しかし、この碑は、そのような苦難の中で、なんとか、その事実を伝えるために、諦めずに知恵を出し合い、碑の建設をした人々の気持ちの、その思いの強さを教えてくれます。

 

<参考>

中国新聞、「ヒロシマの道標 『市立高女慰霊碑』 「原爆」を公式で表現」、



ひぐち

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