ひろしまを考える旅(2018年8月)に参加して、フィールドワーク「夏の花 原民喜を歩くコース」で初めて原民喜に出会った。猛暑の中高齢の私に最も軽い行程のものをとスタッフに勧められたおかげであった。正直なところ、私はYWCAに出会ってからずっと原爆展などにかかわってきたのに「原民喜」の名前も知らなかった。『夏の花』は、原が原爆に遭遇する2日前、妻の墓参りに行くところから始まり、原爆投下の瞬間からの惨状を見たまま聞いたままを克明に記し、自身が避難するまでが書かれている。記録としてもとても貴重な書物だ。
原民喜の研究者竹原陽子さんの解説を聴きながら書物の現場を歩いたが、申し訳ないことに8月の日中の猛暑のために内容はあまり理解できなかった。ところが今年、2020年8月8日の竹原さんとのオンライン読書会に参加して、『夏の花』を改めてゆっくり輪読することができた。見たままといっても、その描写力には驚く。これほど感情を入れずに、対象の姿・声など細部に至るまで書けるのかと。しかし唯一カタカナで挿入された詩には激しい描写がみられる。中でも「水、水をください…」は象徴的な言葉として語り継がれている。
「自分を透明にして実態だけを描いている」という竹原さんの言葉に納得した。
梯久美子著『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書)を新聞の書評で見つけて読んだ。原民喜の生涯にわたる交友と作品を知ることができる。被爆後の広島で住居も健康も満足でない中、書き残すことが自己の生存の使命だと分かりながら、精神的に繊細な彼にとって、原爆体験を長く持ちこたえるのは耐えがたいことだったのではと思う。原爆の前に妻の穏やかな死を体験していた彼にとって、原爆の死は慌ただしい死であると言う。心に深く留め続け、原爆の死に自分を同化したのか、何通もの遺書を残して、轢死という手段で44歳の生涯を終えた。17歳年少の友人だった遠藤周作にも遺書を送った。彼は「あなたの死はなんてきれいなんだ」「純粋な人、私にとってイエスか」と言わしめたのは…。その後の遠藤作品に少なからず影響を与えたといわれる。
様々な思索を広げるきっかけになった広島の旅。猛暑の思い出ばかりでなく、見聞が自分の中で熟成されていく喜びに感謝している。
HARA TOSHIKO
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