今回は広島とは離れますが、東京都江東区ある東京大空襲戦災資料センターを見学した体験のレポートです。私が行ったのは2020年2月で、これが初めての見学でした。
私は関東に住んでいるため、「ひろしまを考える旅」に関わっていながらも直接広島に足を運ぶ機会は残念ながら多くはありません。けれど、当然戦争のことは広島だけで考えればいい話ではないし、自分でも学べることはあるはずだ、と思えたのが、戦災資料センターの見学でした。
私が特に印象的だったものと感想をシェアしたいと思います。
・東京大空襲を作戦したカーチス・ルメイさんのインタビュー映像を見ました。"遠い昔の話、忘れたい"という言葉が、私には忘れられません。できることならこんな歴史を学ぶことは辛いから、なければよかったと思うし、でも事実だし、何が起きて、何をしてきてしまったのかは向き合って、覚えていないといけないし。悔しくて、悲しくて、こんなことは、誰のためにも、してはいけないと思わされました。
・空襲開始から空襲警報までのタイムラグについても、ビデオで学びました。"天皇が避難させることへの配慮だった"という説明があり、戦時体制の愚かさ・複雑さを垣間見ました。
・防空法と、「退去ハ一般ニ行ハシメザルコト」という通達の存在を、私はここで初めて知りました。「逃げるな、火を消せ」と教えられることはとても恐ろしく、でもきっとその時代に生きていたら私も火を消さなければならないと、それが正義だと思い込んで従っていただろうと想像し、怖くなりました。
NHKの朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」でも、「消火せずに逃げろ!」と発言した人物が逮捕されるシーンがあったようです。
・長刀訓練の写真を眺めていて、こんなものやりたくない、こんなために私は学校に行きたくない、と純粋に思いました。
・空襲直後にシャッターを切られた写真の数々を見ました。衝撃的なものばかりでした。写真を見る機会はあまりなかったので、そこに映る人々を見て、改めて怖さを想像することにつながりました。東京大空襲以外にも、重慶爆撃について、重慶の博物館提供の、被害の様子の写真が展示してあることに驚きました。
・東京の仮埋葬場の地図が飾られていました。私のよく通る道、通っていた大学や高校も見つけることのできる地図でした。「私」が「東京」のことを学ぶことは、想像以上に意味を持つことだと思いました。かつて交流させてもらった広島の高校生が"東京だとやっぱり広島の原爆のことより東京大空襲のことを学ぶの?"と言っていたのを聞いて、自分は全然自分の住む土地の歴史として学んでこなかったと、反省したのを思い出しました。
一緒に行った方々とは、資料館という建物として残されていくことの意味や、広島の平和祈念資料館・名古屋市にあるピースあいち との比較を通して、民間で運営されることと公的に作られることの違いについても話し合うこともできました。とても有意義な時間でした。
参考 東京大空襲・戦災資料センターHP
ちろる
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